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ロナウドとアドリアーノを巡るトレードの噂がどういった結末を迎えるのか興味は尽きないが、彼らのことを抜きにしても、インテルとレアルの間には不思議な空気が流れている。 2つのビッグクラブの交流史は、何も今になって始まったことではない。かつての両チームは、かなりの期間にわたって対立関係にあった。両者の間で選手の譲り合いが行われるようになったのは、わりと最近のことなのである。ここ数年では、この交流によってインテルが大きな恩恵を受けている。カルチョメルカートでの立ち居振る舞いに難があることで有名なインテルとしては、非常に珍しいケースと言えるだろう。 インテルはマッシモ・モラッティの父親、アンジェロ・モラッティが会長だった時代、“マーゴ”(魔術師)の異名を取ったエレーニオ・エレーラがチームを率い、当時ヨーロッパを席巻していたレアルの独裁を終焉させている。1963−64シーズン、インテルはウィーンで行われたチャンピオンズカップ決勝でレアルを下し、ヨーロッパチャンピオンのタイトルを手にしているのだ。ローマのスタディオ・オリンピコで行われた、史上初のスクデット・プレーオフでボローニャに敗れる10日前、64年5月27日の出来事だった。 プラーター・スタジアムで行われた決勝では、インテルのFWサンドロ・マッツォーラが、レアルの優雅で老練なサッカーを凌駕した。マッツォーラは前半43分に先制点を挙げると、2−1で迎えた後半31分にも試合を決定づけるゴールをマークし、インテル優勝の立役者となった。 レアルにとっては、アルフレード・ディ・ステーファノ、フェレンツ・プシュカシュ、パコ・ヘントの怪物トリオがすでに峠を越えていたという点が大きなマイナス要素だったと言える。ちなみに、レアル・マドリーで伝説を築き上げたディ・ステーファノは、監督との確執の末、この試合を最後にエスパニョールへと移籍した。ミゲル・ムニョス監督からジャチント・ファッケッティのマンマークを命じられたのが退団の直接的な原因だった。 「ディ・ステーファノは相手からマークされる選手である。ディ・ステーファノが相手をマークすることなどあり得ない!」 すでに髪の毛が薄くなり始めていたがプライドの高い“サエタ・ルビア”(スペイン語で金髪の矢の意。ディ・ステーファノの現役時代のニックネーム)は、こう叫びながら、レアルのロッカールームを足早に出て行ったのだった。 この一戦を境にして、インテルとレアルの対立は深まっていった。その後、両チームとも低迷期に突入するが、それでも、何度かヨーロッパの舞台で激突している。中でも印象深いのは、84−85シーズン、UEFAカップ準決勝の第2戦である。レアルがサンティアゴ・ベルナベウで3−0と勝利して決勝進出を決めたのだが、試合途中、スタンドから投げ込まれた小さな鉛の球のような物がインテルのDFジュゼッペ・ベルゴミの頭を直撃、ベルゴミが大ケガを負う事件が起こったのだ。この問題は、UEFAに持ち込まれて審議されたが、裁定はうやむやなものであった。 |
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