本誌記事 WebCALCiO 2002

アレッサンドロ・デル・ピエロとフィリッポ・インザーギの2人は、カルチョの歴史に名を刻んだ偉大なカンピオーネである。しかし、今シーズン開幕前の時点では、多くの人が「彼らはもう終わりだ」と考えていた。彼らに好意的な人でさえ、「そろそろ引退が近い」と思っていたはずである。栄光に満ちたキャリアを築いたアレックスとピッポは、すでに30歳を過ぎてベテランと呼ばれるにふさわしい年齢となった。“活躍して当然”と見られるだけに、表舞台から少しでも遠ざかると、我々にとっては実際の姿以上のマイナスイメージが目につく。昨シーズンのデル・ピエロはファビオ・カペッロ監督から“控え選手”の烙印を押され、インザーギにいたってはほとんどピッチに姿を見せなかった。人々が彼らを「終わった選手」と思うのも無理はない状況だったのだ。

ところが、彼らはやはり正真正銘のカンピオーネだった。2005・06シーズン、彼ら2人は全盛期と変わらぬパフォーマンスを見せ、全盛期以上のインパクトを我々に与えてくれたのである。

デル・ピエロとインザーギはほぼ同じ年齢であり、2人とも、セリエAで100ゴール以上を記録している。4シーズンにわたりユヴェントスで一緒にもプレーした。ちなみに、そのコンビネーションが物議を醸したこともあった。

1974年生まれのデル・ピエロは、ピッポより1歳年下だが、セリエAでのプレー経験はピッポより2シーズン長い。 デル・ピエロは19歳にもなっていない93年にセリエAデビューを果たしているのだ。 彼は、ビアンコネーロのユニフォームを着てセリエAデビューを果たして以来、現在までずっとユヴェンティーノであり続けている。 今シーズンのアレックスは、ユーヴェの歴代最多ゴールを塗り替えた。 ジャンピエロ・ボニペルティが保持していた歴代得点記録を破り、ユーヴェの歴史における金字塔を打ち立てたのである。

一方、インザーギがセリエAにデビューしたのは95・96シーズンのこと。 当時のピッポは22歳、パルマの一員だった。 そして、アタランタに移籍した翌シーズンに24得点を挙げて頭角を現す。 この好成績が評価されてユヴェントスに迎えられ、デル・ピエロとコンビを組むことになったのだ。 そして、2001年の夏にミランに移籍、現在に至っている。

多くのゴールを挙げるということでは共通している2人だが、そのプレースタイルは正反対とも言うべきもの。パドヴァにいた頃のデル・ピエロは、正真正銘のストライカーとして評価されていた。地元ティフォージは、当時のデル・ピエロに“ピッコロ・ファン・バステン”(小さなファン・バステン)というニックネームをつけていたくらいだ。しかし、彼はその洗練されたテクニックとその高い創造力を武器に、“10番”としての評価を少しずつ高めていった。一方のインザーギはセリエAにデビューする前からずっと“ペナルティーエリアの略奪者”としてのプレーを貫いている。彼はパオロ・ロッシに少々のフィジカルを加えたタイプであり、ペナルティーエリア内でゴールを“掠め取る”ことに生き甲斐を感じている選手なのだ。サイドに開いてドリブルをしたり、下がってチャンスメークしたりすることはほとんどない。ピッポがそれをやったところで、相手守備陣には何の脅威も与えないだろう。彼はペナルティーエリア内に“いる”ことが重要な選手なのだ。90分間何もしなくても、後半ロスタイムにチャンスが1度来れば、それを決勝ゴールに結びつける。それが“スーペルピッポ”なのだ。

  
プロデビューを果たしたパドヴァ(当時セリエB)時代のデル・ピエロ。まだ17歳だったが技術的にはすでに完成の域に達していた アタランタでプレーした96ー97シーズンに24得点で得点王に輝き、スターダムへとのし上がった
ユーヴェには93年夏に加入。多くのタイトル獲得に貢献した 名声を確立させたユーヴェ時代。アレックスがいたため決定機には事欠かず、ピッポは得点を重ねた
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