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「英雄を必要としない国は幸せだ」とは、ドイツの劇作家、ベルトルト・ブレヒトの言葉だ。これをイタリア代表に言い換えるとこうなるだろう。「W杯で“恐怖の弱小国”におびえることのなかった昔のイタリア代表は幸せだった」。ポッツォの時代のイタリア代表は、緑の芝の上でボールを蹴っていればよかった。戦場に赴くかのような気持ちでピッチに上がる必要など全くなかったのである。我々はいつから、実力が全く分からない無名チームをわざわざ“最強の敵”と思い込み、おびえなければならなくなったのか。敗北を恐れるあまり、わざわざ洞窟から未知の怪物を連れ出してくるようになったのはいつからなのだろうか。
すべては66年イングランド大会の北朝鮮戦から始まった。当時、チームの助監督を務めていたヴァルカレッジは北朝鮮のウォーミングアップを見てこうつぶやいたという。「これじゃまるでリドリーニだ」(注:リドリーニとは、アメリカの喜劇俳優ラリー・シーモンのイタリア名)。ヴァルカレッジは相手チームの練習をリドリーニのドタバタ劇に例えたのである。決して北朝鮮のテクニックをけなしたわけではない(もっとも、少しはそういう意味もあったのだろう。なにしろ、当時の北朝鮮はウォーミングアップにオーバーヘッドまで練習していたという)。スピードある彼らの動きが喜劇のように見えたからそう言ったにすぎない。しかし、その後、事態は思わぬ方向へと進んでいく。その練習を見たアッズーリは、敵を侮り、「これなら大丈夫」と安心してしまったのだ。また、引き分けでも1次リーグ突破という状況が彼らをさらに油断させたのかもしれない。ミドルズブラのピッチでアッズーリが敵のダイナミックなプレーに警戒し始めたのは、前半終了間際に北朝鮮のパク・ドイクがGKアルベルトージをかわし、ゴールネットにシュートを突き刺してからのことだった。その後、イタリアは猛反撃を開始するが、すべては徒労に終わる。結果は0−1で敗北。それはイタリアにとって“屈辱”以外の何物でもなかった。そして、その屈辱は、帰国後ジェノヴァの飛行場で待ち受けていたファンから投げつけられた腐ったトマトによって赤く染められることになる。 最初から真実を語ればよかったのだ。しっかりとコミュニケーションが取れていなければ、物事を深く知ることはできない。映画のセリフのような曖昧な言葉だけでは、相互理解などできるはずがないのだ。団結力の弱さ、それが我々イタリア人が持つ大きな欠点である。北朝鮮戦に出場したFWのサンドロ・マッツォーラは当時のことをこう振り返る。「初戦のチリ戦が終わった後、みんなが口々に『北朝鮮戦は楽勝だ』と言っていた。ところが、その数日後には急に考えを変えて、『彼らは怪物だ』と言い出したんだ。アッズーリのチームメートは次第に冷静さを失っていった。不安にさいなまれた選手には精神安定剤が与えられたよ。ただ、安定剤を飲んだ選手は、その代わりに体力を失った」 北朝鮮戦の戦犯を探す前に、我々は戦後のアッズーリを襲った“暗黒時代”のことを思い出す必要がある。50年ブラジル大会から62年チリ大会までの4つのW杯で、イタリアは3度のグループリーグ敗退と1度の欧州予選敗退(58年スウェーデン大会)を経験しているのだ。それでも、アッズーリ史上最大の屈辱は、やはり北朝鮮戦での敗北だった。この敗北はその後、多くの“息子たち”を生んだ。といっても、新たな敗北のことではない。その日からアッズーリが持つことになった“弱小チームに対するコンプレックス”こそ、北朝鮮という母親が生んだ最悪の落とし子だったのだ。以降、弱小チームを前にしたイタリアの選手たちの脳裏には、必ずミドルズブラの悲劇がよぎるようになった。「人は見かけによらぬ」という諺がある。アッズーリは自分たちが“呪われた者”になることを怖れるあまり、その諺に敏感に反応するようになっていったのだ。我々自身が勝手に疑心暗鬼に陥り、弱小チームを恐怖のチームに仕立て上げ始めたのは、間違いなく、あの日以降のことなのである。 |
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