本誌記事 WebCALCiO 2002
ピルロのボールコントロール技術や、スペースを見つけるセンスは超一級品である。しかし、ボランチに必要とされるフィジカルの強さは持ち合わせていないし、トップ下に欠かせないスピードもあるとは言えない。既存の枠には収まらないタイプのMFなのだ。そのため、才能に恵まれながらも、アンチェロッティ監督と出会いレジスタとして大成するまでかなりの時間を要したのである

マルチェロ・リッピ監督率いるイタリアは、PK戦の末にフランスを破り、史上4度目のワールドカップ制覇を果たした。しかし、リッピ監督の戦術が大会を通じて常に正しく機能していたかと言うと、私には疑問である。

今大会のアッズーリは、4−3−1−2を基本フォーメーションとしていた。これを4−3−3と明記していたところもメディアの中にはあったが、明らかな誤りである。リッピは、まず2トップを固定し(ルーカ・トーニとアルベルト・ジラルディーノ)、その背後にトップ下(フランチェスコ・トッティ)を置くという布陣を基本としていた。これをトリデンテ(3トップ)と呼ぶのには無理がある。ただし、大会前に行われたドイツとのテストマッチのように、トッティの代わりにアレッサンドロ・デル・ピエロを入れた場合には話は別だ。デル・ピエロは典型的なセカンドアタッカー・タイプであり、トップ下ではない。つまり、彼は決して「トッティの代わり」ではないのだ(彼自身もそう語っている)。つまり、トッティとデル・ピエロ、彼ら2人の役割は全く異質なのである。それは、ジョヴァンニ・トラパットーニが監督を務めていた頃から変わらない。当時からずっと、デル・ピエロは自分とトッティのポジションが重なることを頑なに否定し続けていた。

つまり、4−3−1−2で戦いたいリッピにとって、トッティは不可欠な選手だったのだ。今述べたように、W杯メンバー23名の中で、トップ下をこなす選手はトッティだけである。ケガから復帰したばかりのトッティを招集することにリッピがこだわったのはそのためだ。

それにしても、なぜリッピは、トッティの控えとなるトップ下の選手を選ばなかったのだろうか? コンディションを見て使い分けられるよう、FWには5人もの選手を招集した一方で、コンディションに不安のあるトッティには控えを準備しなかった。

そう言えば、サイドMFを務められる選手も純粋な意味ではマウロ・ヘルマン・カモラネーシだけだったように思う(大会中のカモラネーシは完全な右サイドと言うより、ややセンター寄りのポジションでプレーしていた)。ただ、これは、開幕前にリッピが考えていた中盤が、現在ミランが採用しているダイヤモンド型だったからだろう。このシステムでは、サイドMFを置く必要がないのである。

中盤の底でアンドレア・ピルロがレジスタを務めるミランのダイヤモンド型の中盤。カカーの位置(トップ下)にはトッティを、サイドにはカモラネーシとジェンナーロ・イヴァン・ガットゥーゾを配置する。そして、ダニエレ・デ・ロッシは、ミランにおけるマッシモ・アンブロジーニのように、スーパーサブとしてベンチに置いておく。これが、リッピが当初考えていた理想の中盤だったように思う。

しかし、アンチェロッティがこのシステムを採用した昨シーズンのミランでは、どの試合も必ずGKのジダが大活躍することになった。これは、スクデットを狙うチームにとってはあるまじき事態である。なぜなら、GKが目立つということは、中盤の守備が甘くなっていること、特に、中盤の底で相手の攻撃を妨げるフィルターが機能していないことを意味するからだ。そう考えると、今回のイタリア代表にも少なからずそういう面があったように思われる。大会最優秀GKが誰だったか思い出してほしい。そう、我らの偉大な守護神、ジャンルイージ・ブッフォンである。ブッフォンがファインセーブを連発したということは、イタリアの守備陣が再三に渡って押し込まれたということを意味するのだ。結果的に大会を通じてオウンゴールによる1失点に抑えたイタリアの守備陣だが、その守備組織が崩された場面がなかったわけではない。

1 / 4