本誌記事 WebCALCiO 2002

昨シーズンまでの“師匠”だったファビオ・カペッロは、イブラの熱心な信奉者であった。カペッロは、イブラの入団以来、常に彼を重用し、ほとんどすべての試合で彼を先発させた。ターンオーバーという言葉は、当時のイブラには全く関係のないものだった。イブラにとっては、自分を常にピッチに送り出してくれる監督こそが名将である。イブラはこれまで多くの監督と衝突を繰り返してきたが、カペッロとの関係は良好だった。ところが、ユーヴェの大規模なスキャンダルが発覚すると、カペッロはすぐに荷物をまとめてマドリッドへと旅立ってしまった。周囲は「カペッロはイブラヒモヴィッチを呼び寄せるだろう」と考えたが、カペッロがレアルのフロントに獲得を要請したのは、ローマ時代から絶対的な信頼を寄せるエメルソンと、W杯で世界一のセンターバックであることを証明したファビオ・カンナヴァーロの2人だった。こうして、イブラヒモヴィッチはこの夏の前半を重苦しい空気が漂うトリノで過ごすことになったのである。

渦中のユーヴェにおけるイブラの振る舞いは、決して誉められるものではなかった。練習やテストマッチを理由もなく休むことが度々あったのである。その振る舞いは、同様の問題を抱えながらも無関心を装ってトレーニングに励むダヴィッド・トレゼゲとは対照的なものであった。トレゼゲも心中は決して穏やかでなかっただろうが、少なくとも彼は模範的に振る舞っていた。

生まれながらの戦士であるイブラは、今夏も“闘争”を選んだ。「ユーヴェではプレーしない」と宣言した直後、彼はカルチョメルカートへと放り込まれた。それが良いのか悪いのかは分からないが、彼のような選手の行き場所は、もはやインテル以外にない。「美しいが、とんでもなく悪い奴」。そういう選手は、最終的にインテルに落ち着くのである。

イブラヒモヴィッチにユヴェントスへの未練は存在していなかった。そう言えば、アヤックスを退団する時にも彼は全く悲しそうな表情を見せなかった。素晴らしいプレーは人々を魅了するが、それはすぐに記憶の中で薄れていく。一方、無作法な態度というのは、人々の印象に長い間残る。そのことを少しは理解すべきだと、他ならぬイブラのために思わざるを得ない。

今回のインテル移籍は、ユヴェントス側から見れば後味の悪いものとなった。 ただし、2年前のアヤックスからユーヴェへの移籍も、トラブルを含んだものだった。
アヤックス3年目の03−04シーズン、ビッグクラブへの移籍希望を公言してはばからないイブラはフロント陣と対立。制裁措置として彼を試合に出さなかったロナルド・クーマン監督(当時)を相手に、イブラは激しい舌戦を展開している。また、オランダとスウェーデンとの親善試合で、イブラは当時アヤックスのキャプテンだったファン・デル・ファールトを殴って負傷させている。チーム内で孤立を深めていくイブラを問題視したフロントは、1600万ユーロ(約22億円)の移籍金でユーヴェへ譲渡することを決めた。ちなみに、これはすべて当時ユーヴェのGMだったモッジが仕組んだものとも言われているが……真相は闇の中だ。
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