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| インテルには98‐99シーズンから2シーズン在籍したが、ここでも指揮官との確執があった |
チームに貢献すればするほど溝が深まる監督との確執は、ケガ以上にロビーを悩ませた。ずば抜けた力を持つカンピオーネを持つ監督が必ず幸せだとは限らない。アリゴ・サッキが、ファビオ・カペッロが、そしてマルチェッロ・リッピが……イタリアを代表する有能な監督がバッジョの才能に嫉妬し、自らの権威を守るために彼を冷遇したのである。
インテルでの2年間はリッピによって握りつぶされたも同然だったが、彼はインテル最後の試合で強烈な印象を残した。チャンピオンズリーグ出場権を賭けたパルマとのプレーオフで、チームを勝利に導く2ゴールを挙げたバッジョは、「自分とリッピ、どちらがチームの役に立つのか」を誰にでも分かる方法で証明した上で、無言でクラブを去ったのである。
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| インテルでの最後の試合となったパルマ戦で、置き土産として美しいゴールを決めている。この日のバッジョの2ゴールで勝利したインテルは、翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を手にした |
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| 00‐01シーズンに現役最後のクラブとなるブレッシャに移籍。恩師マッツォーネの下で4シーズンプレーした |
ブレッシャを移籍先に選んだ00年夏の決断は、バッジョがビッグタイトルを放棄したことを意味する。スクデット争いの代わりに残留争いを戦い、チャンピオンズリーグという大舞台にも背を向け、代表に選ばれる可能性も極めて限られたものになる。それでも彼は、ピッチで自分の実力を発揮したいという“サッカー選手の本能”に従ったのだ。そして、バッジョが出会った最大の理解者とも言うべきカルロ・マッツォーネの下で4年間プレーし、ユニフォームを脱いだ。
バッジョのキャリアを振り返ると、ケガは運命だったとあきらめるしかないが、監督との確執が避けられていれば、と思わずにはいられない。もちろん、冒頭に述べたとおり、それでさえ、バッジョのドラマ性に満ちたキャリアを彩る要素の一つだったのは間違いない。それでも、彼が2度目、3度目のバロン・ドールを手にし、ビッグイヤーを掲げ、W杯決勝でもう一度PKを蹴る……そんなシーンが見たかったと、バッジョ引退後数年が経過した今、痛切にそう感じるのだ。
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