本誌記事 WebCALCiO 2002
87年5月10日のナポリ戦で挙げたセリエA初ゴール。この日がセリエAデビュー戦だった

“印象に残る選手”という意味で、ロベルト・バッジョは他のカンピオーネと一線を画している。その理由は、彼の魅力がテクニックやファンタジーアといったサッカー選手としての能力に収まらないからだろう。彼の生き様は我々を魅了し、強烈な印象を残すのだ。

バッジョは名実ともに正真正銘のカンピオーネだった。 小柄ではあったがフィジカルが強く、ずば抜けたテクニックとインテリジェンス、そして最高級のファンタジーアを備えていた。
フィオレンティーナには85‐86シーズンから4シーズン在籍。キレのあるドリブルとファンタジーアでフィレンツェのアイドルとなった
ただ、それだけの実力を備え、全盛期をセリエAの“ビッグ3”(ユヴェントス、ミラン、インテル)で過ごしたにもかかわらず、長い現役生活の中で彼が手にしたタイトルはあまりにも少ない。 ユーヴェ時代にスクデット2回とUEFAカップ、ミランでスクデット1回。個人タイトルは1993年のバロン・ドールとFIFA年間最優秀選手。
90‐91シーズンから5シーズン在籍したユーヴェでは、93年にバロン・ドールとFIFA年間最優秀選手賞を獲得した
たったそれだけである。95‐96シーズンにミランの一員としてスクデットを手にした時、それが彼にとって最後のスクデットになると誰が信じただろう? バッジョのキャリアは光と影の繰り返しだ。格子越しに差す太陽が大地を黄金と暗闇に塗り分けるように、バッジョはピッチ上で躍動する期間と、ピッチの外でサッカーボール以外の何かと対峙する苦難の時を繰り返した。彼は常に苦難と向き合うことを強いられた。その大半はケガとの戦いであり、戦術至上主義を標榜する監督との対立であった。

ミランには95‐96シーズンから2シーズン在籍。しかし、“天敵”サッキ監督からはほとんど出番を与えられず、不遇の時期を過ごした

飛躍の地としてやってきたはずのフィレンツェで、ひざの手術とリハビリの2年間を過ごした。灼熱のパサデナで、心に消えない傷を負った。そして、ピッチサイドかスタンドからボールの行方を目で追う日々を強いられたスタディオ・サン・シーロでの4シーズン……。

しかし、バッジョは決して敗者ではなかった。ヴィチェンツァの下部組織時代から、2004年にブレッシャでユニフォームを脱ぐまで、バッジョがピッチに立つ限り、彼目当ての観客がスタジアムに押し寄せた。バッジョが腰に手を当て、右足をボールの上に乗せているだけで、観客は満足する。今から数秒後、あるいは数分後に、彼が素晴らしい魔法で自分たちに歓喜をもたらしてくれると確信しているからだ。

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