パルマにサッカーチームが誕生したのは1913年のこと。サッカーチーム第1号は、パルマが生んだ世界的作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディにちなんで「FBCヴェルディ」と名付けられた。町の規模は小さいが、歴史と芸術の宝庫と言われるパルマのサッカーチームに相応しい名前であった。芸術の町として知られるパルマでは、現在でも、オペラのほうがカルチョよりも受け入れられているとも言われている。要するにパルマ市民にとってはエンニオ・タルディーニより、「レジオ歌劇場」のほうが重要なのである。
FBCヴェルディが初めてゲームを行ったのは1913年7月27日。相手はフィデンツァのフィデンティーナ、結果は0−0の引き分けと記されている。FBCヴェルディの後を追うように、パルマの町に、レント・クラブ・パルマというサッカークラブが生まれている。そして、その年(1913年)の12月15日、パルマの2チームは合併し、「パルマFBC」が誕生した。
パルマFBCはそのプレー内容以上に、ユニフォームのデザインが話題を呼んだ。ユニフォームの胸に黒い十字が刺繍されたのである。黒十字はまさに中世パルマの紋章、その軍旗に描かれていたものである。今でもパルマの選手の愛称として「CROCIATI」(クロチャーティ、十字を背負った男たち)を意味する言葉が用いられているのにはこのような理由があるのだ。
第1次世界大戦が終わり、中断していたスポーツ活動も再開され、パルマの町にサッカーが戻ってきた。1922年12月26日、スタジアム建設のための最初の石が置かれた。スタジアム建設に寄与したエンニオ・タルディーニ(弁護士)に捧げるはずのものであったが、1年後に工事が完了した時、タルディーニは45歳の若さで亡くなっていた。このスタジアムは、スタンドは木造の正面スタンドだけという当時の英国式スタジアムを模倣したものだった。スタジアム建設にパルマ市が許可した場所は、町の東南部。当時は、ビルも家もない地域であった(今では周辺地域の開発が進みまさに町中のスタジアムの感がある)。1990年のW杯イタリア大会のために改築され、現在は約3万人を収容する近代的スタジアムへとその姿を変えている。クラブ事務所も現在はタルディーニ・スタジアム内に移されている。
 

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1 のどかな雰囲気を残したパルマの中心街。ローマやミラノといった大都市とは違うイタリアを感じることができる。
2, 3 パルマの中心に位置するピロッタ宮殿。
パルマ出身の世界的作曲家・ヴェルディを冠にしたフェスティバルの横断幕が見える。 |
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4, 5 オペラで有名なレジオ劇場。音楽が盛んなパルマの象徴である。
もちろん、ヴェルディの作品も上演される。 |
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6 パルマのドゥオーモ。ロマネスク様式の代表的な建造物だ。
7 パルマの特産物であるパルミジャーノ・レッジャーノ。
厳しい品質検査をパスしたものだけが、この名前を使うことができる。 |
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