
マドリッドの町はネラッズーロ(黒と青)一色に染まり、ミラノの町は歓喜の声に包まれた。広場はインテリスタで埋め尽くされ、華麗なる祝宴が張られたのだ。インテルの壮大なフェスタは、試合前からすでに始まっていた。スペインの首都にある名所、プエルタ・デル・ソル、カジェ・マジョール、パセオ・デル・プラーダ、スペイン王宮広場などは、イタリアからやって来た2万2000人のインテリスタで試合が行われる土曜日の午前中から賑わっていた。ティフォージの中には、アイスランドの火山の影響で航空機の運航が中止される可能性を考慮して、イタリアから地中海を船で渡り、バルセロナからマドリッドまでバスでやって来たという人も少なくなかった。
昼頃になると、彼らは手に地図を持ち、リュックサックを背負って、ネラッズーロのマフラーを首に巻き、広い街路をエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウに向かって行進した。強い日差しを避けるように木陰を歩くインテリスタの群れ。夜の試合に向けて、マドリッドの町は早くも大きな盛り上がりを見せていた。
そして午後5時45分、サンティアゴ・ベルナベウのゲートが開いた。待ち構えていた1万数千人のインテリスタが早くもクルヴァを埋める。彼らが陣取ったのはサン・シーロ同様、北クルヴァだった。場内でインテリスタの合唱と手拍子が始まる頃、スタジアムの外ではもう一つの戦いが始まっていた。チケットを持たずにベルナベウにやって来た数百人のイタリア人と、現地のダフ屋との間で熾烈な価格闘争が始まっていたのだ。といっても、この勝負にインテリスタが勝てるわけがない。わざわざミラノから来たのに、試合を見ずに帰るわけにはいかないからだ。ダフ屋が提示する1000〜1200ユーロ(約12〜14万円)という、定価の6倍近くの金額をしぶしぶ受け入れざるを得なかったようである。
インテルのウルトラスは決勝進出が決まった翌日からさまざまな応援を準備していた。選手がピッチに入場する瞬間、そして、試合中に展開する応援の演出を綿密に練ってきたのだ。彼らは1万5000本の黄色い小旗と同数のボール紙を準備し、会場に詰めかけたインテリスタに手渡した。圧巻は2900平方メートルの巨大なビッグフラッグだった。選手がピッチに入場する際、幅50メートルにも及ぶ巨大なフラッグでバックスタンドを覆ったのである。これらすべての応援演出道具は、インテルのウルトラスが大型バス1台、バン4台でミラノから運んだものだ。
応援のリーダーたちにとって唯一の問題点はカラーにあった。インテル100周年を記念して作られたユニフォームは白地に赤の十字というデザインなのだが、チームは事前に、そのユニフォームを身につけないことをサポーターのグループに連絡してあった。赤と白を基調とするバイエルンのチームカラーとの混同を避けるためである。このため、この日のインテリスタは全員、ネラッズーロのクラシックなユニフォームを着てインテルに声援を送った。そして、彼らの応援の甲斐もあり、インテルは完璧な勝利を手にした。イングランド人の主審、ハワード・ウェブ氏が3分間のロスタイムの後に試合終了の笛を吹いた時、会場にいた2万5000人のインテリスタの歓喜の雄叫びが鳴り響いた。45年ぶりのヨーロッパ制覇……もっとも、会場にいたインテリスタの中に45年前の歓喜の瞬間を体験している者はほとんどいなかったはずである。彼らの大半が、ヨーロッパチャンピオンになる喜びを初めて体験していたのだ。インテリスタの歓喜の渦にスペイン人観客の拍手が加わった。さらに、ミュンヘンからやって来たドイツ人からも拍手が送られた。
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