LAZIO

シルヴィオ・ベルルスコーニ
Silvio BERLUSCONI

ヨーロッパ屈指のTVネットワークを20年間で築き上げたイタリアきっての実業家、シルヴィオ・ベルルスコーニは、現在、イタリア共和国の首相でもある。1993年、ベルルスコーニは政界入りを宣言してから半年間で、新政党“フォルツァ・イタリア”をゼロから作り上げた。そして、総選挙に勝利し、約半年間、首相の座に君臨。その後、5年間は野党の立場に甘んじていたが、今年春の総選挙で再び首相の座に返り咲いたのだ。

1986年2月にミランを買い取った彼は、現在に至るまで、ロッソネーラのオーナーであり会長である。ベルルスコーニの就任とともに、ミランは60年代に誇った名声を取り戻し、世界を代表するクラブへと返り咲いた。ベルルスコーニはカルチョ界に“ビジネス”を持ち込んだ先駆者だが、もしかすると、彼にとっては最初からカルチョもビジネスの一部なのかもしれない。また、イタリアのクラブが18〜20人ものレギュラー級カンピオーネを揃えてチーム作りをしたのは、ベルルスコーニのミランが最初である。選手の年俸を大幅に引き上げることで、ライバルチームからカンピオーネを奪い取る手段を生み出したのも彼だ。当時、レアル・マドリーの会長だったラモン・メンドーサとともに、巨大化した現在のチャンピオンズリーグの原型となるアイディアを打ち出し、実現に向けて推進したのもベルルスコーニだった。ミランがチャンピオンズ・カップで優勝した89年、彼が途方もないこの“企画”を持ち出した時、ほとんどの人はそれを一笑に付した。結末は、ご覧のとおりである。

就任から数年間は、ベルルスコーニ自身が獲得すべき選手をすべて決めていた。基本的には、彼が直接赴いてその目で確かめ、それができない場合は、少なくともビデオでプレーを確認していた。ホームだろうがアウェーだろうが、その頃の彼がミランの試合に足を運ばない日はなかった。今日、ベルルスコーニがサン・シーロに姿を現せばニュースになるほど、“現場”からは遠のいている。彼に代わってすべてを取り仕切っているのは、彼の右腕アドリアーノ・ガッリアーニ。言わずと知れたミランの代表取締役(副会長兼任)である。
 
ROMA

マッシモ・モラッティ
Massimo MORATTI

現在の会長、マッシモ・モラッティは、60年代に“グランデ・インテル”を創り上げたアンジェロ・モラッティの四男である。マッシモは1945年5月16日に、ヴェローナのボスコキエザヌオヴァに生まれた。大学では政治科学を専攻。ミリー・ボッシと結婚、5人の子供がいる(チェレステ、アンジェロ・マリオ、カルロッタ、ジョヴァンニ、マリーア)。インテルの会長の息子として少年時代を過ごした彼の体内には熱いインテリスタの血が流れている。フライッツォーリ、ペッレグリーニ会長時代のインテルの不甲斐ない戦いぶりに業を煮やしていたマッシモは、ペッレグリーニが累積赤字でクラブ経営に行き詰まっていることを知ると、すぐさまインテル買収に動き、500億リラの債務を肩代わりするという条件で、1995年2月18日、インテルのオーナーになった。父アンジェロが1968年に手放したインテルを買い戻したのである。500億リラ(当時のレートで約35億円)は大金である。だが、マッシモの出費はそこで終わったのではない。いや、その時に始まったと言うべきである。彼がインテル会長に就任してから今までの投資額は1兆リラ(約600億円)と推測されている。マッシモがそれだけの大金を投じて手にしたものは、98年のUEFAカップ優勝のみ。本能に任せた投資の“ツケ”と言うべきなのか、あるいは、優れたアドバイザーに恵まれなかったと言うべきなのか。

彼は監督の首のすげ替えを頻繁に行うことでも有名である。会長在任6年間で11人を監督に就任させている。本能的な“勘”でロナウド、ロベルト・バッジョ、ヴィエリといった大物の獲得にも成功しているが、カイオやチェントファンニらに大金を投じて赤っ恥をかいたりもしている。石油で財を成したモラッティ・ファミリーにとって、サッカーはあくまで道楽。これまではインテルに愛情を注ぐ一方だったが、さすがに資金も底をつき始めたのか、最近ではインターネットを中心としたコミュニケーション事業および、マーケティングなど近代的クラブ経営への転換を図っている。クーペルを監督に据えることで“安定したインテル”を目指すと同時に、ピレッリ・グループの援助なしでもやっていけるインテルの建設、すなわち、株を上場させて資金を広く集めるという方法論を模索中である。
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