文●アドリアーノ・ジョルジ text by Adriano Giorgi
写真●兼子愼一郎、高橋在 photo by Shin-ichiro KANEKO/Ari TAKAHASHI
カッペロが指揮する現在のローマには、すでに栄光を手にした多くの“天才”たちがひしめいている。例えば、トッティ――彼は16歳の時から、その天賦の才を認められ、“天才”と言われ続けてきた。そしてバティストゥータ。言うまでもなく、フィオレンティーナ、そしてアルゼンチン代表で、数々の素晴らしいゴールを積み重ねてきたプレーヤーである。
しかし、ローマにはまた、もうひとつのタイプの選手たちもいる。天才たちの陰で汗をかき続ける兵卒タイプの選手。その代表が、マルコ・デルヴェッキオである。デルヴェッキオはミラノ出身。インテルで育ち、ローマでその実力が認められた選手だ。現在のローマで、これだけ強い精神力と頑固さを持ち合わせている選手は、他には見当たらない。
今でこそ彼は、ロマニスタたちに“スーパーマルコ”と呼ばれるほどの信頼を置かれる選手になった。しかし、初めからそうだったわけではない。最初は、何をやってもうまくいかなかった。マルコ・デルヴェッキオが、ローマのファンから支持を得るまでには、大変な苦労と紆余曲折があったのである。
彼がローマのファンに受け入れられなかった理由には、まず、彼がミラノ出身だということがあるだろう。ローマ人とミラノ人のライバル意識、お互いの不信感がいまだに存在するからだ。それに、ローマに来た当初の彼には、ミスが多かった。彼はしばしば、非常に簡単なシュートを外した。しかも、悪いことに、それがたまたまゲームの趨勢を左右する決定的な場面でのミスであったりしたのである。そんなマルコに、ロマニスタたちは容赦なくブーイングを浴びせた。しかし、彼はへこたれることなく、いつも勇気を持って、スタディオ・オリンピコに響く彼へのブーイングに立ち向かって行ったのだ。そして、彼は自分自身のスタイル、つまり“兵卒スタイル”を貫くことで、ローマというチーム、ファンたちとの“戦い”に打ち勝ってみせたのだ。彼のプレーをロマニスタたちは徐々に認めだし、いつしか彼へのブーイングは、喝采へと変わっていった。その頃から彼の態度も変わりだした。彼がゴールを決めるたびに見せていた、耳に手を当てファンを挑発する独特のポーズをしなくなったのである。
今や彼は、代表のレギュラーを務めるほどの素晴らしい選手になった。不運にもフランスに敗れた、あのヨーロッパ選手権決勝でのイタリアの1点も彼が挙げたものだった。代表監督が、ゾフからトラパットーニになっても、マルコはいつも代表にいた。そしてまるで醜いアヒルの子が白鳥になるように、アッズーリでレギュラーの地位を獲得するまでになったのだ。そう、まさに醜いアヒルから白鳥へ。それが、勇気を持ってブーイングに立ち向かい、“兵卒”に徹し、汗をかき続けた、マルコ・デルヴェッキオというサッカー選手の生き様である。トリゴリアでの練習後、その生き様の真髄を語ってくれた。
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