カッペロと話をして、
彼の僕に対する信頼が
強く伝わってきた。
だからローマに
残ることにしたんだ

今でこそ、多くのファンが君を支持してる。でも、批判の多かった時期でも、君をピッチに送り出してくれた監督も大勢いたよね。印象の強い監督について、話してくれないか。

D ―― まずは、マリーニだね。プリマヴェーラの監督時代に僕を見出し、目を掛けてくれたんだ。彼には、特にテクニックを教えてもらったな。それからスアレス。彼は、非常に難しい時期のインテルを任されたんだけど、まだ18歳にもなっていない僕をセリエAにデビューさせてくれた。それから、なんといっても、僕のサッカー人生において重要なのは、オッタヴィオ・ビアンキだろうね。94−95シーズン、あれだけビッグ・ネームの外国人選手が揃っていたにもかかわらず、僕をよく使ってくれた。あのシーズン、僕は29試合も先発で出してもらえたんだよ。

しかし、次のシーズンには、ローマにレンタル(共同保有の条件付き)されたよね。

D ―― そう、次のシーズンのカンピオナートが始まってすぐだったよ。でも、あれは僕にとってはラッキーなことだったと思う。当時ローマの監督だったマッツォーネは、僕のようなタイプを欲しがっていたから。彼からは、ものすごく大きな期待と信頼を感じたよ。ただ、その後も2年間レンタルの状態が続いた。僕はミラネーゼ(ミラノ人の意)だけど、その時、ローマのほうが真の理解者が多いな、って感じを持ったんだ。その後も、もう1年レンタルが続いたんだけど、ようやくローマが僕と正式に契約してくれた時は、やっぱりホッとしたな(注:ローマが残りの保有権50%を買い取った)。

マッツォーネの後、カルロス・ビアンチが少しいて、それからゼマンが来た。ブーイングを浴び、その後それを乗りきっていく時期と重なるね。

D ―― ゼマンの2シーズン目に、僕は18ゴール、3アシストという成績だったんだ。ただあの頃、僕は、FWのセンターに据えられたんだ。1トップ、これは僕には不向きだった。ゼマンのサッカーには、動き回れて、戦術眼があって、ディフェンスのできるFWが必要だったはずなんだけど……。この役こそ、僕にピッタリだと思ったんだけどね……。

そういえば、そのシーズンの終わり、君はプレミアリーグ・チェルシーへの移籍が半ば決定していたんだよね。センシも納得してたし……。君はかなりいい条件の契約をすでにのんでいた。当時、チェルシーの監督だったヴィアッリも積極的に介入してきて、君に直接コンタクトを取ったりしてたっけ……。

D ―― そう、そうだったんだけど、そこに、カペッロがやって来たんだ。そして、彼は、僕の残留を強く望んだ。信じられなかったよ。だって、本当にロンドン行きの飛行機に乗ろうとしてた時だったんだから。カッペロと話をして、彼の僕に対する信頼が強く伝わってきた。だからローマに残ることにしたんだ。みんなが喜んでくれたよ。オリンピコでも、みんなが僕のテーマを大合唱してくれて、すごく嬉しかったことを覚えてるよ。
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