兵役を拒否するということは、
暴力を拒否するということ。
これが、僕の生き方です

ローマは今まさに“この世の春”といった感じだね。
バティ、トッティら、スーパースターの活躍にロマニスタも興奮している。
しかし、同時に、チームのダイナモでもあり、心臓部とも言える君のような選手にも注目が集まっている。これについてどう思う?


トンマージ(以下T) ―― 僕自身、心身共に、調子は最高ですよ。ただ、昨シーズンとそれほど変わったとは思っていません。あなたが言うとおり、チームの成績がいいから、僕みたいな脇役の選手も注目されるようになったのでしょう。

君は自分自身のプレーをアピールする気持ちは全然ないのかな。君の運動量の豊富さと攻撃参加は高く評価されるべきことだと思うんだけど。

T ―― 自分をアピールする必要はないですよ。チームのために自分が機能していればそれでいいのですから。

ピッチ外での君の行動も評価されるべきだよ。コソヴォの小さな村にサッカー場を作る活動に協力し、その“こけら落とし”に出席するためにコソヴォに行った。そうした行為を他人から褒められることを誇りに感じないのかい?

T ―― 正直言って、誇りに思うというより、少々、当惑していると言ったほうが正しいかもしれません。僕としては当然のことをしただけだと思っています。それを、特別なことをしたように言われるのは少々不愉快ですよ。コソヴォにはディ・フランチェスコと一緒に行きました。ただし、現地に滞在したのはわずか6時間ですよ。コソヴォでは、半年以上もの間、兵士やボランティアの人たちが平和のために毎日働いています。戦争は終わったが、街の明かりは消えたままで、そんな中で彼らは毎日必死に奉仕活動をしているのです。そんな彼らの奉仕活動に光を当ててやったらいかがですか? 僕らはたった6時間の奉仕で褒め讃えられている。でも、彼らには、その100分の1の賛辞も与えられていないのです。今回のことは、僕自身、誇りというより、責任感でやったことです。サッカー選手の行動がいかに人々の注目を浴びるか、それなりにわかっているつもりですから、僕は鏡になって、僕に浴びせられる注目をある方向に反射しようと考えました。それがコソヴォだったのです。

“ローマのダイナモ”トンマージ。その類い稀な運動能力で広く中盤をカバー。 また、機を見た前線への飛び出しにも定評がある
君はサッカー界では珍しい兵役拒否者だね。兵役を拒否し、社会奉仕を選択した。カトリックのTV局でボランティア活動をしたんだよね。なぜ、兵役を拒否したの?

T ―― 兵役を拒否するということは、暴力を拒否するということ。これが、僕の生き方です。大きい身体で、髪は縮れっ毛で、黒い髪が僕そのものであるのと同じように、僕が兵役を拒否するということは、僕の細胞そのものなのです。僕の生き方を尊重してもらいたい、ただそれだけのことです。ピッチの上でも、僕自身をさらけ出すつもりでいます。自分を表現します。でも、他人の考えも尊重します。サッカーの世界でも僕は僕自身であろうと努めています。商品として見なされることには耐えられません。僕らは金を生み出す“商品”ではないのです。

君の理論をこのサッカー界で実践していくのは難しいんじゃないかな?

T ―― そんなことはありません。例えば、医者は神から人間の治癒という難題を与えられ、それに答えを出しているでしょう。あなたがたジャーナリストは真実と嘘を見分けるという役割を担っています。そして、教師は知識と物の価値を教える役目を担っているのです。サッカー選手も同じこと。何かがあるはずです。金だけではありません。
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